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2021年2月12日 (金)

パトリック・バーン氏連載:第四章 意気消沈のクリスマス (12/23-1/6正午)(翻訳記事)

前書き・イントロ、そして第一章前編後編第二章第三章と翻訳してきたこのシリーズも第四章に突入です。

How DJT Lost the White House, Chapter 4: The Christmas Doldrums (December 23- noon January 6)

February 4, 2021 14 min read

ドナルド・J・トランプは如何にホワイトハウスを去ったか。 第四章 意気消沈のクリスマス (12/23-1/6正午)

2021年2月4日(14分程度で読めます)

Missedopportunity

私は次の数日間ワシントンDCに滞在しました。フリンとシドニーは数日間自分たちのオフィス戻りましたが、マイケルが去る前に私たちは会話をしました。この機会を利用して、マイケル・フリンについてもう少しお話しましょう。

私は、戦地で働いていた人々から、フリンが”沼の生き物”達(DSの事)の敵にのし上がったのかを聞いていました。彼がイラクに到着したとき、敵のアジトの襲撃から得られた物証・資料は袋にまとめられ、本国のバージニア州の分析班に返送されていました。それから1、2か月の後、有用な分析情報が最前線の軍隊に送り返されました。フリンは起業家のようなビジネス的視点があり、プロセスの再設計に着手しました。その結果、イラクの基地で分析が行われ、ループは18時間に凝縮されました。そのため、部隊が襲撃に出かけた次の夜、彼らはすでに前夜の仕事から得られた分析結果の恩恵を得られたのです。結局、このループは非常に短くなり、ある場所での夕方の早い段階での襲撃は、夜を通して分析されデータを生成し、夜明けにまだ継続している襲撃部隊へとフィードバックが届くまでになりました。私がこの分野で信頼している人々は、フリンには沢山の信奉者がいると言っていましたが、中傷する者もいました。諜報機関のコミュニティの昔ながらの流儀を崩したくないような上官達は、最新の合理的アプローチを導入し過去の非効率性を証明し続けるフリンが目障りでした。彼のキャリアが進むにつれて、フリンの上官達の評判は真っ二つに分裂し、それは伝説となりました。私の経験では、明るく、快活で、現実的な連邦職員はフリンを高く評価し、凡庸な人ほど彼を憎んでいるようでした。しかし、マイケル・フリンと一緒にいることで、私は彼について新しいことを学びました。たとえば、61歳のフリンは生涯一筋の民主党員であり、例えて言うならボストンの南、プロビデンスの北にいそうなアイルランド系カトリック信者でさながらジャック・ケネディのような感じです(現代の「憲法なんて捨てちゃおう!」という勢いの左翼ではなく正統派)。彼は憲法の深い読者であり、会話の中でフェデラリスト(連邦主義)の論文を番号で引用できる私が知っている数少ない人々の1人であります。アメリカの現代戦争について話し合ったとき、彼はほとんどチョムスキー信者のように聞こえ、アフガニスタンとイラクでの戦争は15年前に終わっているべきだったと私に言ったが、戦争を支援した企業には数千億ドル、そして(最終的には)数兆ドルが流れ込んだため、その資金の流れの恩恵を受けていた企業は非常に太り続け、非常に多くのロビイストを雇ったので、彼らは戦争を続けるためにDCでロビー活動し、栓が開きっぱなしのままになったのです。私たちは、「ワシントンDCはアイスクリームを自分で舐めるアイスクリームコーン」みたいなものであると冗談を言った。

言い換えれば、「Capture(捕獲?)」。時々私と同じように、私たちの国家の問題の多くの根底にある共通の問題を認識するようになった、まったく異なるバックグラウンドの人に会います。その問題とは、強力なエリートが私たちの政府の意思決定サイクルを掠め取り、それを彼らの私的な目的に使っているということです。さまざまな背景とさまざまな経験の生涯を送りながら、全く同じ分析の結論に到達したという事実は、私が道案内としてきた指針が正しかったと思わせました。

フリンとは「将軍、我々はここでくそみたいなことをしてるけど、これ一体なんのためなんだ?」という内容の会話を何度も交わしました。

私はクリスマスにはワシントンDCで一人で過ごす予定でしたが、トランプ関係者の誰かから電話がありました。その人は私にフロリダ、マー・アー・ラゴの近くへ来るべきだと言った。そして私がトランプとの10分ほどの短い会議をでできるように手配したと言った。その時までに、トランプはまともな人々のアドバイスを聞いておらず、何らかの形で全体像を見誤っていると完全に私は確信していたので、私は招待状をつかみ取り、DCからフロリダに飛び、マー・アー・ラゴからわずか数マイル離れたホテルに行きました。そしてチェックインして連絡を待ちました。

すぐに、トランプの関係者の中でもかなり有名な人から電話がありましたが、実際にどれほどトランプに近いかは私にはわかりません。彼と一緒に電話をかけたのは彼の同僚で、彼らは私にマー・アー・ラゴに行って「アイリーン」(無実を守るために名前は偽名)に要件があると言うように指示しました。私は念の為に彼女の名字も尋ねると、「そこに行ってアイリーンへの面会を申し込めばいい」と言われました。アイリーンの役職、あるいは彼女の専門分野を聞いてみました。「いいからできるだけ早くマー・アー・ラゴに行き、アイリーンを探せ」と言われました。私はそのように不完全な情報で投げ出されるのは本当に好きではない、行く前にもっと知りたいと答えました。再び、返事は断固として、「マー・アー・ラゴに行き、受付に行き、アイリーンに会いたいといいなさい。すべて手配された。」

不安を抱えて、私は自分の最高のヨガの服を着て(他の服は珍しくも全部洗濯に出してました)、マー・アー・ラゴに向けて出発しました。私はUberに電話しました、そしてかなり年季の入ったヴィンテージ物の小さくてボコボコのトヨタカローラが迎えに来ました。

マー・アー・ラゴの門に到着したとき、途中でカローラに別れを告げました。私がシークレットサービスに近づき、「アイリーン」と面会するために来たと彼らに言ったとき、シークレットサービスは皆、信じられないほどお互いを見つめていました。 「アイリーンって誰のこと?」彼らは尋ねかえしました。 「わからないよ」と私は彼らに言った。「アイリーンに会うように言われただけです。私は大統領ととても短い会合をもつことになっています、そして私はここに来て「アイリーン」と会うように言われました。」彼らはまたもや「アイリーンってどのアイリーン?」と言いました。もう一度、私は知らないと彼らに言わなければなりませんでした。シークレットサービスのせいではないですが、彼らが当然のように混乱したため、会話はそこからぐるぐるの下り坂を辿りました。女性エージェントの一人が中国の訛りが多少あることに気づき、状況を落ち着かせて打ち解けようとして、北京語で彼女とラップを始めましたが、それはおそらく状況を改善はしませんでした。私たちは数分間話しましたが、それは他のエージェントの緊張を高めるだけのようでした。その頃、私は単にこの場は逃げ出し、関係者に電話する方がよいと思い始めましたが、掛けてみると当の関係者達はその考えを好まなかったようです。

やがて上役がやってきた。彼はひと目で、「あ、この人は少しでもからかってはいけないタイプだ。」とわかる凄みのある人で、丁寧ではあるけどもやっぱり怖い口調で聞いてきました。「下がれ。そして要件を最初から話しなさい。我々はあなたが何者か、そして何しに来たかを知りたい。」

どこから始めればいいのかわからなかったので、「20年前にOverstock.comという会社を始めました。私の名前は・・・。」彼は鼻を鳴らして私を制止しました、「あ、やっぱり、あなたはパトリック・バーン?」。私は欲しかった信頼を突然手に入れました:ポンコツのトヨタカローラで、なぜかヨガの服を来ていて、怪しげな中国語を駆使する変人…。免許証を提示しましたが、今回はすべて上手くいきました。そして、フリン、シドニー、そして私がどのように注目を集めているのか、私にも伝わり感動しました。それまで、私たちがしていることにどれだけ注意が払われているかを十分に理解していませんでしたが、ようやく体感できました。

いずれにせよ、シークレットサービスのエージェントは心を込めて私にうなずき、何人かは「あなたがトランプのためにしていることに感謝します。」と言った。彼らは私が物件を降りて橋を渡り、別のポンコツじゃないUberを手配してくれました。

根回しが済むまで、私はさらに数日たむろすることになりました。結局、根回しは決してなされませんでした。しかし、当時、私は休暇のためにやってきてマー・アー・ラゴの周囲のホテルのほとんどを独占している何百人もの共和党関係者の家族達を観察できました。共和党のお偉方とその取り巻きたちの間を社交していると、これらの人々に共通のある種のゲシュタルトを感じました。素晴らしい若者や知識人で、概念的アイデアや個々の出来事についても深い会話ができる何人もいました。私の年齢か少し年上の女性で、フォーチュン50に名を連ねるような会社の元幹部で、すでに引退していて非常に強い意思を感じ、有能で、頭がいい人でした。それから私が知る限り、疑いなく残りは全部リフ・ラフ(尊敬できない人、ごみ)でした。リッチなリフ・ラフ達です。ピッカピカの車を乗り回すリフ・ラフ、騒々しくて不快なリフ・ラフ、自己中心的なリフ・ラフ、知識人っぽく見えるように懸命な人、さまざまな種類の実質クレイマーな人達、整形外科で素晴らしい美貌の妻または夫たち、なんか不平があるとかん高い声で叫び続ける行儀の悪い子供たち。それでも。ほとんどの場合、彼らが必死そうに騒いでも私は腹を立てるほどでもなかったのです。私が探しても見つけられたかったタイプの人は、なにか信念やビジョンを持った人々でした…。またはしっかりとした計画を持っている人。

大晦日の前日、ジョージア州の我々の不正選挙を追求している仲間から電話がありました。アトランタ市があるフルトン郡では、いわゆる「イングリッシュストリート倉庫」で郡の選挙が行われていることはすでに知っていました。面白い事に、あるアンティファの女性が、500ドルの報酬でこの倉庫に潜入し、たくさんの写真を撮り、さまざまな束から空白の投票用紙を押収してきました。これらの投票用紙を法医学的にテストすることができます。

私は元旦に働くことをいとわない2人の連邦認定の法医学文書審査官(現場の昔の人)を連れて、大晦日にジョージアに到着しました。

ジョージアでは、私はこの取り組みに携わった何人かの人々の家に滞在しました。それは私が最初にJovan Pulitzerに会った時です(私のサイバー攻撃専門家達とJovanの間で何週間もコミュニケーションがありましたが)。また、ジョージア州サバンナ郡でのカウント操作で不正が疑われる状況を発見した上級企業セキュリティ専門家も出席しました。それは作表機にはWifiカードが搭載されており、壁にはスマート温度計があり、その温度計が投票カウント機にワイヤレスで接続していたのです。さらなる調査により、China Telecomの誰かが、マシンに接続するためにインターネットを介してスマート温度計にアクセスしたことが確認されました。サイバーセキュリティの専門家は、残りの夜を過ごして、選挙マシンの衝撃的な脆弱性、例えば10〜15年前のオペレーティングシステムで実行される傾向、そして一般的に、テクノロジーがスイスチーズのように穴だらけであったことについて話しました。私たちは真夜中過ぎにこれらの脆弱性の一覧を作成しました。

元旦の午前3時に、フリン将軍からテキストメッセージが届きました。 そんな深夜に彼はまだ働いていた。 彼は私に写真を送ってくれましたが、それはソーシャルメディアで話題になっているものでした。マー・アー・ラゴでは、ルディ・ジュリアーニとその側近の人々が新年にパーティーで大騒ぎしました。 ルディ、ドナルドJr、キンバリー・ギルフォイルがシャンパンを飲み、踊り、まるで1999年のようにパーティーをする写真がソーシャルメディアで広まりました。

またもや、フリンと私は憤慨した沈黙の瞬間を共有しました。

元日、私は連邦政府が認定した法医学文書審査官の研究室にいました。彼の同僚の1人は、夜通し運転して駆けつけてくれました。彼らは静かでプロフェッショナルで、私は彼らを彼らの仕事に任せました。1時間後、彼らは報告してきました。投票用紙の2つは、一箇所の印刷所で印刷され、もう1つは、まったく異なる紙、異なるインク、および異なる印刷方法を使用して別の印刷所で印刷されました。郡が2つの異なる印刷所に投票用紙を発注する可能性は非常に低く、これは少なくとも1つの投票用紙が偽造品であることを示していました。

ジョージアの仲間は、アトランタの政府の倉庫を監視して、望遠レンズ付きカメラで乗り付ける車を撮影していました。彼から許可を得て、私はツイッターで私たちが見つけた短い動画を投稿しました。数時間後、エンタープライズからレンタルした引越用の大型車が倉庫に来て、投票用紙の束が大量に積み込まれました。

翌日、近隣の郡のシュレッダー会社が電話を受け、裁断する仕事を受け取りました。トラックは引き上げられ、約3,000パウンド(1360 kg)の投票用紙を積み込みました。注文は「ドミニオン・ボーティング」のクレジットカードを持っている人が支払ったことが確認されました。シュレッダートラックが現場を離れ始めます。どうやったかはここでは説明しませんが、シュレッダートラックは停止され、裁断作業も停止し、最終的に10,000ポンドのシュレッダーが地元の警察署に投棄されたため、証拠の連続的なチェーンが得られました。細断された材料の約3,000ポンドが投票用紙でした(他の7,000ポンドは以前の顧客からのものでした)。ドミニオンの従業員によって注文されたシュレッダーは、通常のシュレッダーではありませんでした(物事を長いストリップに変える)。そしてそれは特別なシュレッダー(紙吹雪に変える)でもありませんでした。それは、投票用紙が細断されてからスピットボールにされるまで細かく粉砕された、軍用グレードの徹底した細断処理でした。

アトランタの国土安全保障庁DHSのエージェントが到着し、現場の指揮を執りました。そして証拠が発見されました:細断された投票用紙のいくつかは完全に細断されていませんでした。 実際、いくつかは容器の壁にくっついていて、全体が無傷でした。また、投票用紙を入れた箱の梱包からは領収書と配送ラベルも見つかりました。これらの領収書と配送ラベルは、中国南部の印刷所からのものでした。DHSエージェントはこれらすべてを取得しました(そしてその特定のエージェントは中国の問題に関する専門知識を持っているエージェントです)。

その瞬間を「T = 0」としましょう。アトランタから受け取った継続的なレポートに基づいて、次の2日間がどのように展開されたかを次に示します。

T + 6時間:ルディ・ジュリアーニは何が起こっているのかアップデートを受けました。
T + 9時間:大統領首席補佐官マーク・メドウズは何が起こっているかを知らされました。
T + 18時間:FBIが現場に到着して引き継ぎました。 DHSはこれに抵抗した。
T + 24時間:あるDHSエージェントは、彼が受けていた政治的圧力に非常に不快であるという言いました。私が正しく理解していれば、彼はマーク・メドウズ自身(ホワイトハウスの首席補佐官)が彼に電話をかけ、調査を中止するように言ったと訴えていました。それは私がちょうどそばに居た時に又聞きしたのですが、そのDHSエージェントは私に大統領に直接掛け合ってほしくって故意に聞こえるように言っていたようにも思えましたが、私にははっきりしませんでした。
T + 36時間:FBIが捜査の指揮権を奪いました。彼らはシュレッダー会社に戻ってくるように指示し、10,000パウンドの材料を拾い上げてシュレッダーを完了し、通常の手順を続行するように指示しました。つまり、細断された材料は水と酸と混合されて、溶かされてから、再生紙として再構成されました。

私が上で書いた物語のさまざまな証拠は​​、写真や動画として記録されています。

その間、私はワシントンDCに戻っていました。私はまだトランプとの10分の会見をしようとしていました。彼が1月6日に負けるまで待ってから、私たちが提案していた計画を開始すると、それはひどい敗者になるだろうともう一度繰り忠告したかったのです。しかし、まだ数日残っていたので、トランプが今引き金を引いたなら、問題のある6つの郡に関する証拠を得ることができました。上院が正しい情報に基づいた選択をすることが出来ますし、より多くの証拠の確保のために私たちに就任式を遅らせて余分な週を確保するか、またはまたは…

この時点で、1つの重要な逸話に触れます。大統領の近くにいる人々と一緒に社交していた時、私はトランプの内輪の誰かから非常に妙な話しを言われました。私が言われたのはこれでした:メラニアは政府高官から、トランプがもう一期の任期を務めた場合、彼はJFKになるだろうと警告されていました。それはシークレットサービスの誰かが「私たちはトランプを守ることができない」という意味だったとも思えます。伝えられているように、脅威は別の家族達にも及びました。シークレットサービスの誰かがそのようなことを言うとは信じがたいですが、これを話してくれた情報提供者は他の点では信頼性に傷がなく、彼の主張は誰か(おそらくシークレットサービスの誰か)がこれを言ったということでした。メラニアが信用し、発言を真剣に受け止めるような誰かでした。メラニアはドナルドにこれ以上は戦わないように、そして単に譲歩して彼の家族と一緒にワシントンから出るように懇願していました。

フリンと私は再びワシントンDCに集まり、飢えたのタカのように1月6日の日付が近づいているのを見ていました。私は何度かインタビューを行い、1、2回の演説でさえ、「私たちは暴力を振るうことはありません。暴力を振るうと負けです。我々はリベラルよりも優れていますから。」と主張しました。私はそれがあまりにも明白であると考えました。

私は、1月6日の朝、ラリーを主催した団体”Woman for Trump”から、南の芝で講演するよう招待されたことを知りました。私は2つの要点を強調するために講演の原稿を準備しました。それは、自由、公正、透明な選挙が市民が政府に権力を信任するのに如何に重要であるか(11月の選挙はそうではありませんでした)です。第二点は、私たちが暴力を使用しないということでした。

私は非暴力について主張する2つの方法の間で決め兼ねていました:

非暴力に関するジェリー・ガルシアとグレイトフル・デッドの話(私は本サイト"ディープ・キャプチャー"で「対決のジェリー・ガルシア」と「メインの嫌いな人」という記事を以前に書いています)。
そして、モルドバについて話をしたこともあります。私は数年前に現地にいました。そしてあるバーテンダーは私に2009年の選挙について話してくれました。不正選挙によりプーチン支持者が選出されたが、人々はそれを見抜いており、抗議行動を起こしました。プーチンは何百人もの男性をキシナウの首都に漂流させるために送りました、そして彼らは使命を持っていました:抗議があるたびに、これらのプーチンの刺客達は抗議を暴力的にすることを目標にそれに潜入しました、政府の建物の前で抗議するだけではなく、建物に突入し、窓を壊し、それらを占有します。しかし、モルドバ人ははあまりにも頭が良くそのトリックに引っかからなかった:プーチンはモルドバ人側もプーチン側もモルドバの中産階級にアピールしていることを知っていた。そして破壊行為が広がればデモは大衆の支持を失うでしょう。モルドバ人は規律を保ち、道に迷うことを拒否しました…そして最終的に政府は屈服し、新しい公正な選挙が行われ、プーチンの操り人形は大敗しました。この話も記事に以前に書いています:「扇動者に関するアメリカ中の民兵へのメッセージ」。

ホワイトハウスの南の芝生の会場でどっちの話しを使用するか決め兼ねていました。5日、私は群衆がジェリー・ガルシアが誰であるかを知らないかもしれないと判断したので、その話をオンラインで書き、DCに到着した群衆に数回ツイートし、1月6日の朝にするモルドバの簡潔な説明をリハーサルすることにしました。

マイケル・フリンも話す予定でしたし、私たちはそう知らされてました。そしてマイケルと私は私たちが何を言うべきか、群衆が絶対に聞くべき項目の細部を詰めました。私たちはそれを特別な歴史的機会として認識していました。選挙を混乱させ、おそらくその結果を変えてしまった選挙にみられた不規則性を一般に説明するのにおそらく30分かかるでしょう。私たちはその挑戦に立ち向かう準備をしました。サイバー忍者や科学者など、一緒に仕事をしていた人たちも簡潔な説明をしているとのことでしたが、誰がなにを話すかは主催者が担当していました。

マイケル・フリンと私は、1月6日の朝が次のように進行すると思っていました:ホワイトハウスのサウスローン(南芝地開場)でいくつかのスピーチがある。フリンは、その歴史的文脈の中でこの瞬間の重要性を説明する「国民の将軍」として講演をする。私は、自由で公正、そして透明性のある選挙の根本的な重要性について話し、それからさっきのモルドバの話をします。次に、これらのサイバー忍者と科学者のうち2〜3人に切り替え、それぞれ5〜10分間話し、市民の良心を悩ますはずの最も決定的な選挙不正の証拠について説明します。個人的な経験から、誰もが5〜10分間で要点を話すことができ、思慮のある人なら誰でも2020年11月の選挙について深刻な疑問を抱くようになるだろうし、3人が話した後には、視聴者の80%くらいが2020年の選挙結果を大幅に割り引く必要があると理解する事でしょう。

その夜、私が話すことを期待していた科学者の一人から電話がありました。彼は、彼の話す枠がキャンセルされたと言われたので、彼がDCに来なかったことを私に知らせたかったのです。私は当惑しました。この科学者は非常に口数が少なく、押し付けがましくなく、しかし非常にプロフェッショナルであるため、開かれた心で耳を傾ける人なら誰にでも訴える説得力があると思っていたからです。11月3日の週に何が起こったのかについて何百万人もの視聴をぐっと説得するのに主催者達が彼よりも適任な人を見つけたなんて信じられなかったのです。

1月6日の朝、フリンと私、そして他の12人がホワイトハウスの南側に歩いて行った。公園者への特別な手配がなされていないことに驚き、群衆の中をくぐり抜けなければなりませんでした。私たちは両方とも講演者のバッジを与えられ、前の特別なセクションに座っていました…。その後、私たちの講演の枠がキャンセルされたことを知りました。控えめに言っても、私たちは困惑しました。彼らが誰を手に入れることができるのか、私たちと同じように状況を説明できるのではないかと考えました…

ショーが始まり、すぐにフリンと私は絶望して席に沈みました。トランプの息子娘たちが起きて、ガールフレンドまたはボーイフレンドに「お誕生日おめでとう」を歌いました。ルディは立ち上がって、あの死んだジョー・フレージャーが投票した逸話を再び話しました。別の弁護士が立ち上がって話しました。ドン・ジュニアは立ち上がって胸を膨らませ、共和党のブランドが今やトランプのブランドになったのか、トランプのブランドが今や共和党のブランドになったのか、あるいはブランディングについて話し合った。その頃、フリンと私は目をとらえ、恐怖の表情を共有しました。後で、私たちはお互いにもう帰ろうかどうか探っていましたが、お互いを誤解していました。主催者の中に少しは常識感覚のある人が心変わりして、フリン将軍に今から舞台に立つ気はあるかどうか尋ねるために駆け寄ってきたのはとてもバツが悪かった。そしてフリンは拒否しました。

痴話騒ぎは1時間以上続いた後、トランプは他のキャンペーンイベントと同じように出てきて話しをしました。実際、全体は多かれ少なかれ大騒ぎでした。自由で公正で透明な選挙のリーダーであるべきアメリカでの2020年11月の選挙では何が起こったのか?なぜ私たちは真剣な調査を必要とする不規則性を如何に発見したのかという説明を開場の群衆、家でテレビから見守っていた市民、あと1時間で投票を開始する上院議員達へと説明する努力はまったくなされませんでした。

代わりに、それは血気盛んなだけのハッタリの集会でした。 それでおしまい。 トランプが煽って終わり。

私たちがステージ正面から一息休憩できるタイミングで、フリンと私、そして私たちと一緒のみんなが出口に向かってダッシュをしました。 私たちが集会の印象を話し合ったとき、フリンは彼の怒りを封じ込めることが難しいようでした。これは全世界に状況を説明する最後のチャンスであったのに、代わりにトランプはそれを士気向上のハッタリ集会として使用しました。「トランプはまったく状況を理解してない。」私たちは群衆の中を駆け抜けてホテルに向かって戻ってきたとき、お互いに繰り返しました。「彼はそれが彼の個人の問題ではないことを理解していません。くその役にも立たない感情を煽る演説をした。彼はこれが彼個人の問題を越えていることをわかっていない。」と私たちは怒りと絶望の中で何度も繰り返しました。15分でフリンと私はホテルに戻り、バッグを詰め、胃がムカムカとし、国会議事堂に向かって移動する群衆には加わらずにホテルに残りました。

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コメント

トランプとしてはジュリアーニにまかせてのらりくらりとやって失敗するのが計画だったようですね。

そこにパトリック・バーンが横入りしてありがた迷惑状態だという。

リンウッドやシドニーは折込じゃないかと思ってたけど、ホワイトハウス突入のくだりとかみるとシドニーはなにも知らされていない感じ。

深すぎるw

面白いですね。

この話がどう流れていくのかは分からないけれど、トランプ陣営の奥の奥は意図的に不正選挙で負ける事を計画していたようですね。

奥が深い!

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